スポンサーサイト

  • 2016.03.03 Thursday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    前橋/藜稲荷神社の再建

    • 2013.03.28 Thursday
    • 12:00

    刺繍 左三つ巴 

    あかざいなりじんじゃ
    藜稲荷神社

    ― かつての前橋藩・川越藩の守護神 ―

    出世稲荷・商売繁盛と崇敬を集め265年



    藜(あかざ)稲荷神社の由来

     
      寛延年間(174817511749年国替えにより播磨(はりま)国姫路藩より越前松平朝矩(とものり)が15万石をもって上野前橋藩へ入封。 その際、伏見稲荷大神分霊を勧請して分領としていた武州(埼玉)川越の赤沢の地に奉斎した。
      因みに当社は結城秀康の後裔(こうえい)である越前松平家姫路城主として減石移封の際、京都伏見稲荷神社に「おちぶれて裾に涙のかかる時、人の心の奥ぞしらるる」と献詠(けんえい)して只官(ただひたすら)一門の栄達を祈願した後、朝矩(とものり)が15万石を領し前橋城主となったことにより、神恩に感謝して川越赤沢の地に奉斎、このころから「出世稲荷」と称し尊信厚く崇められた。

     
      元禄12年(1699年)見舞われた風水害以来、利根川の浸食によって前橋城が半壊。またこの災害により酒井氏の時代より藩財政は困窮していた。
      明和4年(1767年)前橋城は本丸まで浸食されるに至った。財政難により城の修築もままならず、武蔵国川越藩主秋元氏が転封となり空城となった川越城に居城を移した。前橋藩は一時、廃藩となった。
      

      その後、松平朝矩(とものり)から数えて川越藩主4代目で名君として知られる松平斉典(なりつね)時代、天保の大飢饉の時期でもあり、領民と人心の立て直しや様々な財政復興の政策を打つ中一定の成果を上げ、天保2年(1832年)に現在の稲荷御神体(荼吉尼天・だきにてん)の造像を、当時川越境町を中心に活躍した在地仏師、久下(くげ)新八に依頼、稲荷神社再建もまたその一つであったと思われる。
      また斉典(なりつね)は、
    現在に残る川越城本丸御殿を、嘉永元年(1848年)に建設した藩主としても知られる。

      
    稲荷神社再建後、斉典(なりつね)は、天保6年(1835年)に従四位上少将に昇格、また政治的事情から、15万石から17万石に加増を受けたことなどから「出世稲荷」としてさらに崇敬(すいけい)を集める。

      その後、長く廃城の状態が続いたが、幕末の文久3年(1863年)になって時の第7代藩主・松平直克(なおかつ)は念願の前橋城帰城が許され、長らく陣屋となっていた前橋城は慶応3年(1867年)に修築がなったので再び前橋藩に移った。その際、この稲荷も城内に奉還、地名の赤沢を転訛して藜(あかざ)稲荷と称し奉還された。  

      
    しかしその後明治維新に及び前橋城壊城に伴い、信仰篤き旧藩士の人たちにより現在の文京町一丁目39番5号(旧高田町)の梅津家分地(後に稲荷神社に奉納)に奉還された。昭和27年宗教法人稲荷神社として認証されたが、昭和30年半ばごろから御神体の所在が不明となり、それに伴い社殿も損壊。近年御神体が旧氏子宅より発見され、劣化破損が酷い為平成19年10月より平成20年10月まで、文化財保存修復家・藤田尚樹氏に完全修復を依頼完了、現在に至る。

      現在2014年に,川越・赤沢の地に奉斎以来 「265年記念祭」となった10月15日を機に 数年後には氏子有志と支援者により、文京町一丁目39番5号に社殿再建を計画、御寄付を募っている。

     

    再建図



    藜稲荷神社御神体は(荼吉尼天・だきにてん

                                   別名、白晨狐王菩薩(びゃくしんこおうぼさつ)

     仏教の神。 「荼吉尼」は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したものである。元はインドの女神であった。元々は農業神であったが、後に人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるようになった。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとされた。
    日本に入ると、狐神信仰と結び付けられ、狐を眷族とする稲荷神として信仰の対象になった。稲荷は、恵比須の化身であり、恵比須・稲荷の化身・神使は狐である。過去において、この「化身・神使は狐」という共通点から、稲荷荼枳尼天の方程式が成り立ったとされる。 荼吉尼天は、一般的に、左手に如意宝珠または火焔宝珠を載せ、右手に剣をもち、白狐にまたがって空中を疾駆している天女の姿をする。自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれる。

     一般的に「荼吉尼天」は豊川稲荷の御神体として祀られ、その豊川稲荷開基の今川義元から、織田信長や豊臣秀吉、九鬼嘉隆、徳川家康などからの帰依を受けたとされ、江戸時代になると、越前大岡忠相や渡辺崋山からの信仰を受けたという。
     豊川稲荷は円福山 豊川閣 妙厳寺にあり曹洞宗の寺院であり、稲荷神社にはこの「荼吉尼天」が鎮守堂に祀られている。
      
      また、この御神体が築造られた頃、越前大岡忠相が参拝所を設けるなどして、庶民にも信仰が広まったことから、徳川御家門
    の一つである越前松平家も、それにならい、川越藩主4代目松平斉典が徳川家に伝わる「荼吉尼天信仰」を鑑み、元来伏見稲荷より勧請された「藜稲荷」ではあったが、伏見稲荷神社に祀られる稲荷神と荼吉尼天が習合した御神体として、「荼吉尼天稲荷神」を造像、あらためて御神体としたと考えられている。

                                 

    ダーキニー画



      

                        

      左三つ巴


     宗教法人稲荷神社

     ■所在地:371-0801 群馬県前橋市文京町1-39-5
    ■管理者・代表役員:宮澤克典(前橋八幡宮宮司)
          ■連絡先:群馬県前橋市本町2-9-21 TEL027-221-8632
           ■再建寄付受付連絡所:前橋市文京町1-47-1( 蠅垢い蕕鵝
                          氏子総代梅津宏規(うめづこうき)迄 
           TEL027-223-6311 E-mail. akazainari@yahoo.co.jp

          交通:JR両毛線前橋駅南口より徒歩10分、前橋けやきウォークの北東に位置します。

         ご質問、ご寄付また新氏子の受付は上記までお願い致します。

    また再建に向けたご寄付は下記までお願いいたします。
    詳細につきましてはお手数ですが、ご連絡下さい。

    【ご寄付受付口座】

    群馬銀行 前橋東支店 普通 0853703 
    宗教法人稲荷神社 代表役員 宮澤克典
    又は
    前橋南町郵便局 00130−7−601549
    稲荷神社



     

    PR

    calendar

    S M T W T F S
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31      
    << December 2017 >>

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM